モノの価値が飽和した時代

キーワード:マーケティング

最近、強く感じるのは商品に見る時代性である。
昔は商品に完璧性であるとか機能性が求められていたが
今の時代の潮流として、そういったものに反発する動き
みたいなものがあると私は感じている。
つまり、モノの価値がある一定のレベルまで到達すること
が当たり前の時代になり、あらゆる商品がありふれた世の
中になってきた。
特にシニア層はあらゆる商品を多く見てきただけに、この思いを
強く感じている。
なかなかはっとさせてくれるような新しい何かが出てこない。
と感じているはずだ。世の中が成熟してきているために、モノの
価値が飽和してしまっている。
とは言うものの斬新すぎる商品がいいのか、というとそういう訳
でも無い。何が何だか分からない商品は単純にストレスであり、
「私が素人だから分からないんだろうけど、興味は無いわ」と
いう反応になってしまう。
ひとつ、解決策としてあるのは「使いやすさを考えてみる」の
森氏が提言する「懐かしさとのパッケージング」である。

「懐かしいあのころ」フィルターを通すとその商品が2,3倍身近に感じる。
新しい、だけじゃ目を引かないシニア層にじんわりと伝わる。

懐かしい何かと組み合わせる発想により、新しいものを分かりやすく
伝えることが出来る、と書いている。
もうひとつの要素としてありそうなのが、コンセプトチェンジの
考え方である。今までは当たり前の商品だったものを少し視点を
変えることでまったく別の何かにする。
例えば台風でも落ちなかったリンゴを受験生に売る、といった考え方は
これに似ている。新しい概念としてモノを捉えることでまったく同じ商
品でもまったく違う価値を放つようになる。
まったく売れない商品があったとしてそれが何で売れないのか、と
考えるのを止めて、商品価値をまったく新しい形で押し出すにはどう
いった記号化が有効か考えてみよう。
売れない商品のすぐ横に売れるコンセプトは隠れているのかもしれない。

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