短期的なアウトプット-高齢者とITを考える。
キーワード:インターネット
《「私、このPDFって使った事が無いんだけど、おしても大丈夫?」
「大丈夫ですよ。」
「うわっなんかでてきた。どうしよう 変なのダウンロードしちゃった」
耳年増な人が多いので、ダウンロード=変な物、というイメージがあるようだ。
ダウンロードの接頭語は意外と「変なの」である事が多い。
で、カタログや案内書が出てくるわけだ。》
使いやすさを考えてみる。
このblogでは、シニアの素朴な感性が紹介されていることが多く、
非常に参考になるが、pdf。確かに、恐怖。なのかもしれない。
ダウンロード=変な物、というイメージという指摘は非常にドキっとする
考え方だ。高齢者がパソコンを使うとき。そこに待ち受けているのは
大いなる冒険である。
この島には何があるかわからない。
聞くこところによると、一瞬で人を食いちぎる魔物がいるという。(ウィルス)
話術で騙してくる詐欺師がいるという。(ネット詐欺)
自分の情報が盗まれ悪用されることもあるという。(個人情報流出事件など)
そんなイメージだろう。
しかし、その島には何かよくわからないが大量の財宝があり、
そこに行くこと。何かを発見すること。それがステータスでもある。
自分がはじめてインターネットに触ったことを思い出す。
私の場合、はじまりは父だった。父がすごい勢いで、私の名前を呼び、
「すごいんだ!すごいのがあるんだ。世界中の図書館の記事が読める機械がある!」
そう話してくれた。
そうか、何かわからないけど、やってみよう。
その感覚にとって、はじめてのインターネットはわくわく感と恐怖の連続である。
これは何だ、こっちは何だ?どこに向かえばいい?何をすればどうなる?
ほしいのは、一枚の地図だった。
これをやったら、これができるよ。
これをやったら、これも出来ちゃうよ。
そういう単純な方法論だった。応用レベルを求めるよりも、今ある知識に
少しずつ自分の知識で考えて実行出来ること。
この感覚がほしかった。
「あ、もしかしてこうやったらこうなるの?」
と聞いて、
「そう!」
と言ってくれたときが一番嬉しかった。体系的な知識ではなく、
自分がとりあえずやりたいことにとって必要な断片でいい。
とりあえず、何かが出来たらしいという感覚。
それがおもしろかった、ということを思い出した。
短期的なアウトプット。
少し何かをやったら、何かが出来たっていう感覚。
これが高齢者とitを考えるときに重要な感覚になるのかもしれない。