韓国の「高齢」への反発。「老齢」にせよ??
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大韓引退者協会(KARP/チュ・ミョンリョン会長)は2004 8月31日、「高齢社会基本法」
制定を控えヨルリン・ウリ党の張福心(チャン・ボクシム)議員らに「高齢」の代わり
に「老齢」を使い、正しい用語に変えるべきという内容などを立法請願したと明かした。
朝鮮日報
はじめこのニュースを読んだ時はいまいち意味がわからなかった。
なぜ、立法請願までするのか、理由が掴めなかったし、≪老齢≫という言葉は
意味的にはさらに、失礼な意味だと思っていたのである。
しかし、今回のこの事件は朝鮮人の漢字に対する感覚を理解しなくてはならない。
ラオシー(老師)とは、中国語で先生という意味である。
日本では老人、老後、老衰などのように「老いる」意味で使われることのほうが多いが
「老」という言葉には元々尊敬の念が込められて居り、老師と言えば歳を取って無くても
先生なのだ、という。
又、そもそも、高齢という言葉やシルバーという言葉は、日本独自のものであり、正しい
用語ではないと言う。そこを改善しろ、との話だと思われるが
大きなお世話だ。
言葉とは、国に入り、そこの文化背景を経て適合進化していくものである。
「老」という言葉が本来持っていた尊敬の念よりも今は「老いる」などの
意味のほうがクローズアップされてきている。
本来ならば、高齢社会などという言い方も人生の先輩に対する配慮に欠け微妙なのに、
それが老齢社会などと言われたら、最悪だ。
発祥元などは関係がない。
それよりも重要なのは、先祖や自分の先輩を尊敬する思いというものを中心に据えた上で
今の文化背景の中どうベストな言葉を選び、いかにしてアプローチをしていくか、である。
今、ある最高の言葉を使おう。
昔の原義は重要だが、それが今全く違う意味なのであれば使うと単純に誤解を招く。
今、ある最高の言葉で高齢者に笑顔を作りたいものだ。